敦賀市訪中親善使節団を終え帰敦

ブログ 敦賀市議会

14日に日本を出発しました敦賀市訪中親善使節団。
 
無事に役目を終え、昨夜敦賀に戻ってまいりました。
 
昨日は上海からの移動で一日を費やしましたが、15日に訪れた友好都市の台州市では、呉海平 人民代表大会常務委員会主任を始め関係者の皆様、続いて訪問した臨海市、16日の天台県でも多くの方に歓迎いただくとともに、大変丁寧に対応いただきましたことに対し、心より感謝申し上げます。
 
なお、台州市以外の市や県にとなぜ行ったのかと思われるかもしれませんが、中国の行政区画は日本と違い、例えば台州市の場合、3市轄区・3県級市・3県を管轄しています。
 
つまりは、臨海市は3県級市のひとつであり、天台県は、その下の県のひとつ。
 
同じ「市」でも意味合いが違ったり、「市」と「県」の関係が逆であったりと、現地の方の説明で理解を深めたところです。
 
重ねて、16日のブログで台州市の常在人口は667.8万人、面積9,411平方キロメートルとご紹介しましたが、面積で言えば福井県(4,189平方キロメートル)の2倍強。
 
改めて、台州市のスケールの大きさを感じた次第です。
 
訪れた臨海市、天台県ともに、人との出会いに留まらず、多くの学びがありました。
 
その土地を知るには歴史・文化ということになろうかと思いますが、とりわけ中国の「和合文化」発祥の地でもある台州市。
 
天台県で訪問した「天台山国清講寺」(中華人民共和国全国重点文物保護単位に指定)は、※天台宗の中心的な寺院として知られ、日本の仏教の歴史上も重要な寺院であり、最澄が道邃から教えを受けています。
 
※天台宗は、今から1200年前の延暦25年(806)に伝教大師最澄によって開かれた宗派。比叡山(延暦寺)は日本仏教の母山と呼ばれている。
 

【かの最澄が学んだ「天台山国清講寺」を訪れる】
 
また、その教えを学ぶ「天台山螺渓伝教院」など、日本とも深くつながる文化宗教の源がここ台州市にあることを学んだ次第です。
 
天台宗のことを調べてみると、最澄の後、多くの人材が比叡山で研鑽に励み、学問も修行も充実。
 
平安時代中期には、第18世座主の良源(慈恵大師)によって諸堂の再建と整備がなされ、論義が盛んに行われて教学の振興が図られるとともに、弟子の源信(恵心僧都)によって『往生要集』が著わされ、これが後の日本の浄土教発展の基礎となりました。
 
また、『法華経』や浄土教信仰などは知識人の間に浸透し、『源氏物語』や『平家物語』に代表される古典文学の底流をなしたことや、円仁が中国からもたらし大成した声明は、日本伝統音楽の源流となり、また能・茶道にも天台の仏教思想が深く入り込んでいるといわれています。
 
このような日本文化につながる深い歴史、そして自然を大切にしつつ近代化を進め、都市部では現在、デジタル化改革を実装する都市が台州市であり、そうした取組みに関する知見を得るとともに、期間中を通して接した皆様の心あたたまる対応と併せ、先人たちが築かれた友好関係の上に「いま」があると感じた次第です。
 
約半世紀に亘り続く相互の親善使節団派遣ですが、聞くところによると今後は次代を担う両市の高校生の間でも展開されるとのこと。
 
こうした世代間交流の取組みを通じ、両市の友好親善がさらに深まるとともに、益々の発展につながることを祈念いたします。
 
結びに、使節団を率いていただきました米澤光治 敦賀市長を始め、団員の皆様には大変お世話になりありがとうございました。
 
この場をお借りして御礼申し上げます。