政治家の『失言』から備蓄米、処理水、原子力を考える

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週初めの昨朝は、恒例の街頭演説からスタート。
 
通学する粟野中学校生徒(男子)からは「頑張って〜!」の声、演説を止め交わす、自転車の高校生たちとのあいさつなど、次代を担う彼ら、彼女らとのコミュニケーションで気持ち爽やかな活動となりました。
 
肝心の演説に関しては、敦賀市議会で今日からはじまる一般質問を中心に、自身が質問項目に挙げる3項目のうち、特に社会問題化、低年齢層化している「ギャンブル依存症」について、注意喚起も含めお話しした次第。
 
この言葉を一人でも多くの方に知ってもらうことで、敦賀の地における対策が進むよう取り組んでまいる所存です。
 
なお、一般質問は今日から3日間行われ、予想でいけば、私の登壇はおそらく、明日11日(水)の午後一番あたりになろうかと思います。
 
また、再掲となりますが、質問者17名の発言通告一覧を以下にリンクしますので、関心のあるテーマ、議員だけでも結構ですので議場傍聴あるいはインターネット中継などでご視聴いただければ幸いです。
 
 →「令和7年第2回定例会一般質問発言通告一覧」はこちら
 
さて、時折このブログでも記事引用している「原子力産業新聞」ですが、今度は“COLUMN(コラム)”のコーナーに大変興味深い投稿があったため、今日はその内容をご紹介いたします。
 
元毎日新聞社編集委員 小島正美氏の「メディアへの直言」のコーナーで、6月6日に投稿されたタイトルは「政治家の『失言』から備蓄米、処理水、原子力を考える」。
 

【原子力産業新聞の上記コラム画面】
 
“政治家の愚かな失言で政治の大転換が起こり、ガラッと政治の世界が好転する瞬間がある。今回の備蓄米失言騒動のようなケースを見ると、政治家の失言は、結果的に見れば、必ずしも悪いわけではない。大事なことは、その失言を好転させる機会を逃さないことだ。今夏、国民民主党から出馬する総合格闘家の須藤元気氏の例もそれにあたる。どういうことか解説しよう。”との書き出しから、江藤拓前農林水産大臣の失言が二千円の備蓄米を生んだこと。
 
失言が好機につながった例は、福島第一原子力発電所の処理水の海洋放出でも見られ、奇しくも、このときも野村哲郎農林水産大臣(当時)が2023年8月31日の関係閣僚会議で、処理水を「汚染水」(当時、中国が使っていた言葉)と呼んで記者に説明。
 
すぐさま岸田文雄首相は発言の撤回を指示し、野村氏は「福島県のみなさんに不快な思いをさせ申し訳ない」と陳謝したものの、野党の立憲民主党(一部議員は汚染水と呼んでいた)が大臣のクビを取りにいく狙いもあったのか、「汚染水と呼んだのは問題だ。正しくは処理水だ!」と大臣の責任を追及したことでつまり、野党までが「処理水と呼ぶべきだ」と主張したことで、リベラル系メディアも「汚染水」と呼ぶことをためらうようになったこと。
 
こうした例を挙げた上で、本題は、総合格闘家で参議院議員を一期務めた須藤元気氏が、夏の参議院議員選挙で国民民主党から立候補することになったこの転身、変身をどう見たらよいかと問いかけ。
 
須藤氏が自身のXポストで「今回、国民民主党の公認を受けて立候補するにあたり、自ら多くの声に耳を傾け、政策を見直し、再構築しました。原子力発電について、かつては否定的な立場でしたが、現在はエネルギー安全保障と現実的対応の観点から『安全性を確保した上での活用』は必要と考えています」と同氏が熟慮の末、エネルギーの安全保障と現実的な対応から原子力発電は必要だと悟ったことを紹介。
 
反原子力だと叫んでいた政治家が、じっくりと現実的に考えた結果、原子力発電は必要だと思うに至った。すばらしき転身ではないか。
 
コラムは、“須藤氏の変心は見ようによっては、原子力発電の理解につながる要素をもっている。そのキャラクターを生かすも殺すも国民民主党の広報戦略次第だ。今後を注視したい。”と結ばれていました。
 
 →小島正美「政治家の『失言』から備蓄米、処理水、原子力を考える」(2025年6月6日 原子力産業新聞COLUMN)全文はこちら
 
政治家の失言は時に、国民にとっての好機や国益に資することになるとの筆者の視点が興味深かったことに加え、一部で批判の声が寄せられている須藤氏に関しても、私自身、発想の転換、考えの整理ができた(同氏の原子力に対する考えの転換は元々歓迎していましたが)ところです。
 
本コラムの存在は既に、自身のXでも発信したところですが、こうしたことに“気付かせてくれた”、筆者である小島氏に感謝する次第です。