心をつなぐ 世代をつなぐ 文化のちから 〜第64回敦賀市文化祭〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

秋晴れに恵まれた「文化の日」。
 
国民の祝日に関する法律では、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とあります。
 
ここまで大それた考えにまで及びませんでしたが、昨日は10月27日から開催されている「市民文化祭」(敦賀市文化協会・敦賀市教育委員会主催)に行ってまいりました。
 

【メイン会場のプラザ萬象】
 
足を運んだプラザ萬象 大ホールでは、ちょうど花展・呈茶が催されており、生花を鑑賞しつつ、お茶を一杯頂戴した次第です。
 

【お饅頭とお茶に「ほっと」癒されました】
 
また、多目的室(市民ギャラリー)で併設開催の、敦賀気比高校OBOGアート展「けひのわ」も鑑賞。
 
同校美術専攻科卒業生は、学んだ技術をベースにプロとして活躍されている方、趣味として続けられている方様々なれど、それぞれの道で磨き続けているアートはどれも力作揃いで、素人の私から見ても訴えるものがありました。
 
なお、「けひのわ」は残念ながら昨日で終わってしまいましたが、市民文化祭については、絵画・書道・写真・俳句短歌・手芸そして文化祭ポスター原画展が11月7日から展示となります。
 
敦賀市文化協会におかれましては、「心をつなぐ 世代をつなぐ 文化のちから」の基に伝統文化の継承と発展に取り組むことはもとより、新しい流れにも目を向けながら、文化でつながる親しみのある町へ会員一同取り組んでおられます。
 
文化祭は、11月10日(日)が最終日となりますので、ぜひ足を運んでいただければと存じます。
 
その後は、敦賀市立博物館へ。
 
本来、こちらの企画展で予習をした上で、昨日ご紹介した2日の記念講演会を聞くべきでしたが、「日本横断!運河計画」の展示をじっくり鑑賞してきました。
 

【敦賀市立博物館にて開催の企画展「日本横断!運河計画」】
 
講演会にあった「加賀藩」に関しては、徳川幕府から明治新政府に転換するちょっと前の、大きな社会の変革期に政治的駆け引きによって、またもや本気で運河計画が検討されはじめ、西廻り航路(大阪廻り)が危うくなり、再び荷物を上方へ運ぶ中継点として注目されるようになった敦賀は、京都への糧道として、そして北前船の寄港地としても重要な役割を果たし、その商圏は日本全国に及んだこと。
 
それは「交通の要衝・敦賀」である以上、仕方のないことであり、江戸初期以来の、港の賑わいが戻りはじめた敦賀に、高度な技術を持った測量集団が、加賀藩の命を受けて敦賀にやってきたとのエピローグのもと、数々の展示がされていました。
 
また、愛発の「疋田舟川」については、部分的ではあるものの、平安時代からいえば数百年を経て初めて実現した運河計画として文化13年(1816)に完成。
 
その後、天保5年(1834)に廃止され、再び安政4年(1857)に使われるようになりますが、彦根藩主・井伊直弼が領内の宿駅が衰退することや大津にある米の価格が下がるなどを理由に執拗に反対していたことも紹介されており、当時の政情を思い浮かべた次第です。
 
これ以上の紹介は「ネタバレ」となるため控えますが、驚きと学び満載の企画展となっていますので、こちらもぜひご覧いただきたく存じます。
 
改めて、こうして継承される「歴史と文化」は、先人たちが生きた生業そのもの。
 
今もこれからも大切にしていきたいと思います。