土俵から地元にエールを送る「大の里関の優勝」

ブログ 人生観

「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、一気に涼しくなった昨日。
 
窓を開けていると夜は寒いくらいで、締め切って寝ましたが、朝方にサッと降った雨で一段と過ごしやすくなった気がします。
 
なお、今朝の散歩中、昇る朝日とともに出会ったのは見事な虹。
 

【見事な半円を描くレインボー】
 
ふと、記録的豪雨に遭った能登半島でも、この虹が架かっているといいなと思ったところ。
 
この豪雨に関しては、報じられる目を覆うような光景に、改めて自然の恐ろしさを感じるとともに、不安な生活を余儀なくされている住民の方々の心中を察するところであり、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げる次第です。
 
さて、そうした状況の中で、地域外の者が軽々に申し上げるべきではないのかもしれませんが、石川県の皆さんを元気づける出来事は、大相撲の関脇大の里の優勝ではなかったかと。
 
大の里は同県津幡町出身。
 
元日に発生した能登半島地震に心を痛め、初土俵から所要7場所での最速初優勝を遂げた夏場所後の6月2日には金沢市内の避難所を訪問した際には、「(優勝と大関昇進の)明るい話題で元気になってほしい」と話していました。
 
さらにこの秋場所では、14日目の21日に2度目の優勝を果たし、直近の3場所で2度の優勝を含む計34勝を挙げ、大関昇進を確実にするとともに、初土俵から所要9場所での新大関は、昭和以降で最速の記録とのこと。
 
優勝を決めた取組後、地元の石川県が能登地方を中心に記録的豪雨に見舞われたことについて、大の里関は「暗いニュースで大変な状況。自分の優勝が力になって、少しでもいい報告ができたら」と思いを述べており、まさに土俵から地元にエールを送っており、被災された皆さんにとっては、落胆の中にもひとつの元気や勇気になったのではと思った次第です。
 
なお、大の里の四股名(しこな)は大正から昭和にかけ、小兵ながら大関を7年務めた大ノ里に由来し、師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が、角界を背負える弟子が現れたときに授けようと温めてきたとあります。
 
出世に髪の伸びが追いつかない大の里関は、角界の大器。
 
これも軽々に言ってはいけないのかもしれませんが、今後綱取りへと向かう大の里関の活躍が能登を始め石川の皆さんの力となり、復旧・復興も出世と同様、スピードを上げて進むことを願ってやみません。