2020年12月7日
先人が守り抜いた国指定史跡「向出山1号墳」
宇宙からの話題は、やはり興味が尽きないもの。
大気圏を「火球」となって通過し、オーストラリア南部ウーメラ近くの砂漠に着陸した小惑星探査機「はやぶさ2」の試料カプセルはその後無事発見され、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の津田雄一プロジェクトマネージャは記者会見で、「カプセルは完全な状態で帰ってきた」、「玉手箱を(地上に)降ろすことが出来ました」と成功した喜びを述べられました。
この世界初の偉業は、国内はもとより、NASAは「歴史的」、ニューヨークタイムスは「宇宙探査における日本の地位は、米、欧州、ロシアと並び中心的なプレーヤーになるだろう」と賞賛の言葉が挙げられています。
初代「はやぶさ」で経験したことを次号機に生かし、「採点するなら100点満点で1万点だ」と笑顔で語れる成果を挙げたJAXAのプロジェクトチームの皆さんに改めて大きな拍手を送りたいと思います。
持ち帰った試料は「0.1グラム」
太陽系の誕生を探る今後の分析調査にも大きな期待を寄せ、新たな発見に興味を持って待ちたいと思います。
さて、今日も「発見」つながりとなりますが、話しの舞台を敦賀に。
皆さんは、泉ヶ丘病院に向かう途中にある「向出山1号墳」をご存知でしょうか。
昭和29年以来、数回の発掘が行われ、発見された2基の石室からは、総金張りの金銅装頸甲など全国的に見ても希少な出土品が確認された古墳。
現在は国指定史跡となっています。
古墳時代中期(約1500年前)において、その装束(金銅装)を身につけられることは、敦賀を治めていた角鹿の王が朝廷の中でも極めて高い地位にあった可能性があるとされています。
また、こうした装束以外にも高価で美装化された出土品が多く発見されていることから、大陸側とも密接な関係にあったことも推測されており、まさにその当時から交通の要衝として重要な地域であったことが分かるとされています。
実際、敦賀平野と敦賀湾を見下ろすこの場所(標高約70m)に立つと、古代敦賀地方にあって首長の勢力が絶大であったことなどが思い返されるようで、必然的にここに埋葬されたことを理解した次第です。
こうして発見された敦賀が誇る貴重な史跡ですが、昭和30〜40年代には近隣の観光施設開発や高速道路開発のため、失う危機さえあったとのことであり、そうした存亡のピンチを先人たちが必死で守ってくれたとの経緯も以前に知ったところ。
単に古代ロマンを感じる貴重な場所だけではなく、敦賀がどんな土地であったのかを示すため脈々と継承されてきたのがこの古墳群であると考えれば、この先も絶対に無くしてはならないもの。
明日の一般質問に「文化財行政」を取り上げた根幹に関わる部分でもありますが、一線級の古墳を守るためにご尽力された方々の苦労も踏まえ、今後も大切にすることは勿論、より多くの市民の皆さんにこの史実を知っていただけるよう「活用」することも大事なこと。
「発見」と「継承」
いずれも、情熱とチャレンジ精神無くして成功無しとの思いのもと、こうしたテーマにしっかり取り組んでいきたいと思います。