2024年7月19日
令和6年度「全国原子力発電所立地市町村議会議長会」総会
歴代、敦賀市長が会長を務める通称「全原協」(全国原子力発電所所在市町村協議会)では、17日に経済産業省で石井拓政務官と面談し、次期エネルギー基本計画に原子力発電所の最大限の活用を明記することなどを要請したことが、地元新聞やインターネット記事にも掲載されています。
要望書を以下にリンクしますが、被災地復興や防災対策、原子力政策、立地地域対策の4分野で構成され、会長である米澤敦賀市長をはじめ、副会長の柏崎市長、玄海町長らから要請されたことを心強く思うところです。
→全原協要請書(7月17日)はこちら
この「全原協」は、25の原子力所在地の首長と議会議長で構成するものですが、一方、原子力発電所等が立地している市町村やその立地が予定されている市町村の各議会の議長で構成する団体として「全国原子力発電所立地市町村議会議長会」があり、昨日、東京千代田区の都市センターホテルで開催された、同議長会の役員会並びに令和6年度総会に議長代理で出席してまいりました。
→「全国原子力発電所立地市町村議会議長会」ホームページはこちら
敦賀市議会が理事となっている役員会が11時から開催された後、13時からは令和6年度総会。
冒頭、柄沢均会長(柏崎市議会議長)よりご挨拶があった後、ご来賓として、各省庁より経済産業大臣(代理:吉田宣弘・大臣政務官)、文部科学大臣(代理:清浦隆・大臣官房政務官)、原子力規制庁長官(代理:大島俊之・規制部長)、政党からは、自民党、公明党、立憲民主党、日本維新の会、日本共産党、国民民主党、最後に全原協の米澤光治会長よりご挨拶をいただきました。
【都市センターホテルの会場全景】
【ご来賓の皆様】
挨拶で経産大臣からは「S+3Eの実現、地域の課題解決に丁寧に取組む」、文科大臣からは「HTTRや常陽運転再開など研究が円滑に進むよう取組む」、原子力規制庁からは「残る10プラントの審査も妥協なくやる。審査会合のプロセスを改善し、手戻りがないようにするとともに、事業者からの提案などコミュニケーションを図りつつ、厳正且つ着実に審査を進める。」などの話しがありました。
なお、原子力規制庁の「妥協なくやる」との言葉を、現在審査が進められている敦賀発電所2号機に当てはめた場合、どういう意味を持つのか。
原子力規制委員会が、独立性の高い3条委員会であるとはいえ、行政機関のひとつに違いなく、であれば国の施策を踏まえ、原子力発電所を安全に活用(再稼働)するための審査であるべきであり、事業者の意見を突っぱねて審査の幕引きを急いだり、いわゆる「悪魔の証明」を持ち込むことによって独断・独善的判断がされることは決してあってはならないこと。
立地市町村議会議長らを前に、敢えて挨拶の場で言われた「妥協なくやる」の言葉をしかと胸に留めた次第です。
また、政党関係では、自身が所属する国民民主党からは、浅野哲・党エネルギー調査会会長が挨拶され、「再稼働推進、リプレースの実施を公約に掲げ、現実的な目線でエネルギー政策を考えている。次期エネルギー基本計画では、電力事業者の環境整備や人材確保、サプラチェーンの基盤強化などについて国として支援するとともに、医療や水素活用などの分野の活用を長期的視点に立って構築されるべき。安定で安価な電力供給のため今後も取組む。」旨、力強い言葉がありました。
こうして挨拶が終わり、総会では令和5年度事業報告や決算、令和6年度事業計画、予算が提案され、全議案承認。
総会の後は、経済産業省 資源エネルギー庁 大臣官房の佐々木雅人エネルギー・地域政策統括調整官様より「エネルギー政策・原子力政策の議論について」をテーマにご講義いただいた後、質疑。
事前に準備されていた、おおい町、刈羽村、柏崎市からの質問に続き、私からは、敦賀市議会6月定例会で採択した意見書をもとに、エネルギー基本計画見直しに関し、電力需給が増加する前提条件となったことも踏まえ、ベースロード電源としての原子力の長期的な必要容量と時間軸を明記することを求めたほか、自身が課題と感じている電力事業者が予見性をもって投資できるようにするための事業環境整備について質問した次第です。
【せっかくの機会と、意見質問しました】
こうして直接、国の政策担当者に意見できることは、全国原子力発電所立地市町村議会議長会があってこそと感じたところであり、わが国の原子力黎明期より立地点の議会としてあった敦賀市議会として、今後も役割を果たしていければと思ったところです。
すべての日程を終え外に出ると、ちょうど梅雨明けした東京は茹(うだ)る暑さ。
喘ぐ恒常的な電力需給逼迫、高止まりの電気料金に苦しむ国民生活や企業経営を、いま持ち得る電源で救うとすれば「原子力発電」しかなく、残るプラントの再稼働を何としてでも早期に進めねばと、改めて胸に刻み、会場を後にした次第です。