『敦賀空襲を伝え つなぐ』

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それは、日本海側で最初の空襲であり、敦賀の歴史上、未曾有の惨禍であった。
 
そして、アジア・太平洋戦争終結。・・・あれから80年。
 
<以下、「敦賀市史」通史編(下巻)第四節 三.敦賀大空襲引用>
 
昭和二十年(一九四五)七月十二日の夜、数賀市は大空襲に見舞われた。日本海治岸都市としては最初の空裏であった。十二日夜九時四〇分ごろ熊野港から侵入したB20約一〇〇機は三波に分かれ、その一部は、奈良・三重県境を北上して琵琶湖の南部を経て福井県に入った。
 
この編隊は、駄口上空を通過し、道口より山麓に沿って東に転じ、東郷村井川において第一弾を投下した。この爆撃で、咸新小学校・新善光寺・高福寺、民家七軒が延焼した。ついで深山寺(民家四戸全焼)、高野(民家一戸全焼)、田尻(松岸寺全焼)など一帯に投弾し、東浦村に至り、田尻(民家五戸全焼)、赤崎(赤崎小学校、民家二戸全焼、一戸半焼)、五幡(二戸全焼、一戸半焼)上空で旋回し、福浦湾に面する磐城セメント工場に投弾して、天筒山上空より、市街地に侵入した。
 
天筒山山麓より攻撃が開始され、火は入船・常盤・天満と逐次拡大し、川東地区はほとんど火の海と化した。さらに火は川中地区に拡がり、桜・御手洗・橘・富貴・大島・神楽・北津内と延焼し、晴明・大和田銀行より元の朝市場を経て、大黒・高徳寺にいたる線においてようやくとどまった。
 
その被災面積は、約二一万五〇〇〇坪にわたり、本市街の八割を占め、失家屋は四一一九戸(復興事務所調では四二七三戸)、被災世帯は五〇五七世帯(市厚生課調では四〇九九世帯)、被災人員は一万九三〇〇人(市厚生課調では一万六一五人人)の多きに達し、死者も一〇九人に上った。
 
焼失した主な建物は、気比神宮・敦賀駅・敦賀高等女学校・敦賀中学校など表1に挙げたよう多数に上るが、空襲から逃れた建物には、市役所・敦賀商業学校・大和田銀行(現在の敦賀市歴史民俗資料館)・敦賀病院・敦賀郵便局・敦賀区裁判所などがあった。
 
<引用終わり>
 
これが、昭和20(1945)年7月12日にあった、「敦賀空襲」の記録。
 
この空襲によって、敦賀は市街地の大半が焦土と化したほか、7月30日、8月8日※にも続けて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱もの尊い命が失われました。
 
※8月8日午前9時頃、B-29が敦賀に投下したのは長崎に投下した原子爆弾と同型の模擬爆弾(通称パンプキン)
 
敦賀市では昨日、3回の空襲によって失われた尊い命225柱、そして、日清戦争から太平洋戦争にかけて、戦地などで亡くなった敦賀市出身者1,764人の計1,989柱の戦没者と戦災死没者を追悼するため、ご遺族を始め多くの関係者が参列のもと、厳かな雰囲気のもと「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」が挙行されました。
 
私は議員の立場としてお招きいただき、献花により、心よりご冥福をお祈り申し上げた次第です。
 

【1,989の御霊に心よりご冥福をお祈りいたします。】
 
また、昨日午後は、自身が事務局を務める気比史学会主催の第41期「敦賀市民歴史講座」を開催。
 
テーマは、「戦後80年」シリーズ(第1講)『敦賀空襲を伝え つなぐ』。
 
本講座は、先の大戦終結から80年を迎える節目の年にあたり、国民の大半が戦争を知らない世代となって久しい昨今、過去と現在、未来は地続きであり、検証を怠れば同じ惨禍が繰り返される。
 
時空を超えて、空襲の実相と戦後の歩みを記憶・継承することに努め、内外ともに重要な局面にある今こそ、歴史に向き合い学ぶことによって、将来に備えたいとの思いを込めて企画したものです(この日の講座は、敦賀市共催)。
 
会場のプラザ萬象小ホールに用意したお席200がほぼ満席。
 
多くの報道機関の皆様にもお越しいただき、関心高くお集まりいただいたことに、主催者として嬉しく、また感謝申し上げた次第です。
 

【多くの聴講者、報道機関にお集まりいただいた会場(講演者は、高崎三蔵氏)】
 
講座『敦賀空襲を伝え つなぐ』は、以下の3部構成で進行。
 
◉基調講演「敦賀空襲の概要」
  講師:元県立敦賀高等学校教諭 木戸 聡氏
 
◉トークセッション
(1)証言「敦賀空襲」:高崎 三蔵氏
(2)『花の氷柱 〜いくさと青春〜』(故 真田正子氏著):朗読 人村 朱美氏(舞台俳優)
 

【言葉は不要。心で感じた人村さんの朗読。】
 
◉パネルディスカッション 『敦賀空襲を伝え つなぐ』
<パネラー>
 ・田代 章子氏(つるが女性史の会代表)
 ・桃井 泰人氏(日照山本勝寺住職)
 ・奥野 治樹氏(戦没者追悼敦賀市民の会 副会長)
 ・木戸 聡氏、高崎 三蔵氏、人村 朱美氏
 ・糀谷 好晃(気比史学会 会長)
<司会> 高早 恵美氏(敦賀市立博物館副館長)
 

【パネルディスカッションの様子】

【貴重なお話をいただいた6名のパネラーの皆さん】
 
木戸さんからは、研究から得た資料やデータをもとにした敦賀に関わる戦争の惨禍について、戦争を実体験された高崎さん、田代さんからは、リアルな戦争体験と敦賀空襲の実相を、人村さんからは朗読から浮かぶ戦争の悲惨さ、桃井さんと奥野さんからは、まさに今日のテーマである、次代へどう継承していくかの視点から、それぞれ貴重なお話を伺った次第です。
 
※気比史学会では、本講座を記録化した冊子を作成する予定です。
 
なお、奥野さんが副会長を務める「戦没者追悼敦賀市民の会」は、太平洋戦争の戦没者の妻子らでつくる「敦賀市遺族連合会」と戦没者の孫やひ孫世代、一般市民でつくる「敦賀市遺族次世代の会」とが組織統合し、名称を変えたもの。
 
従来の会員に加え、市民の誰でも入会資格を持つ団体として、戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継いでいくとしています。
 
こうして、午前中の追悼式、そして午後の講座を終えあらためて、戦争の悲惨さと敦賀空襲の実相を思い返すとともに、今の私たちがこうして平和に暮らしていることは決して当たり前ではないことを深く胸に刻んだところです。
 
先の大戦終結から80年を迎える現在では、戦争を知らない割合が9割を超えたそう。
 
平和を希求することは簡単なことですが、戦争の悲惨さや恐ろしさを忘れてはならないことはもちろんのこと、国を守るため犠牲となった英霊の存在があって、この平和があることを忘れてはなりません。
 
そうした意味からも、貴重な機会に触れた者の使命は、これらを風化させぬよう伝えていくことにあると思い、本日ご紹介した次第。
 
皆様におかれましてもぜひ、今一度、80年前にあった出来事を思い返していただけますようお願いいたします。