2025年2月1日
『敦賀まちづくりアクションプログラム』が策定される
整備新幹線の社会的・経済的諸課題を研究する『新幹線学』研究の第一人者ともいえる青森大学の櫛引素夫先生。
これまで幾度もお話しをお伺いし、このブログはもとより、議会の一般質問でも引用したこともあるワードが「開業効果から新幹線効果へ」。
新幹線開業を単なる賑わい、お祭りごとで終わらせるのではなく、地域住民の利便性や地域の活性化につなげることによって、そこに住む人が「実感」し、まちを誇りに思えるように。
そのことが「真の新幹線効果」であると。
「新幹線は目的ではなく手段」であり、主体は「観光客」ではなく、「地域住民」であることも常々頭に置き考えるところ。
そうしたなか、昨日で1月も終わり、これで北陸新幹線敦賀開業から10ヶ月が経過するタイミングで、「新幹線効果」に向け、鍵を握るひとつである『敦賀まちづくりアクションプログラム』が策定されました。
これは、令和6年1月に設立された敦賀商工会議所・敦賀市・福井県の三者による「敦賀まちづくり協議会(以下、協議会)」において、経済界と行政が一体となり、新幹線効果の最大化と持続化を趣旨に、協議を重ね、取りまとめたもの。
昨日は、このアクションプログラム(案)の確認を行う協議会が開催されるということで傍聴してきた次第です。
【市役所講堂で開催された協議会。写真はアクションプログラムの表紙。】
このプログラムの目的は、①敦賀の鉄道や港、歴史・文化、食などポテンシャルが高いコンテンツを充実、連携させ、国内外から人を惹きつける場所をつくる、②まちなかに持続的な賑わいを生み出すとともに、その効果を市内全域あるいは嶺南地域全体に波及させること。
将来像は「世界と未来に開かれた 選ばれるまち敦賀 〜つるがファンの獲得へ〜」。
基本方針を「“オールつるが”で港まち敦賀の魅力を高め、多様な交流による賑わい創生と地域経済活性化」
に置き、施策の方向性は以下の4本柱。
Ⅰ. 歴史と文化を伝えるまちをつくる <歴史・文化振興>
Ⅱ. 多様な賑わいが生まれるまちをつくる <商業振興>
Ⅲ. 駅とまちの往来で人があふれるまちをつくる <駅周辺・交通対策>
Ⅳ. 国内外から訪れたくなるまちをつくる <交流拡大>
すべては書き切れないため割愛いたしますが、それぞれに将来イメージを掲げたうえで、具体的なプロジェクトを挙げる形でプログラムは構成されていました。
なお、「おわりに」では、“多くの市民、県民、団体、新たなプレーヤーがまちづくりに関わることで、さらに敦賀のまちの愛着と誇りを育み、まちの賑わいが創生される好循環を生むことができる”と。
様々思い、説明を聞いておりましたが、例えば、歴史や文化を一番最初に置いたことは評価するものの、その対象は氣比神宮周辺や神楽通りと限定的であり、豊富で悠久な敦賀の歴史・文化全体を生かす内容になっていないことなど気になった次第。
また、目的には「効果を市内全域に」とあるものの、主要プロジェクトマップを見るに、施策を講ずるエリアは中心市街地のみであり、以外の地域の皆さんにどう「実感」してもらうのか。
これらに関しては、また別に議会にも説明があるようでしたので、その場で確認していきたいと思います。
また、協議会の場では、事務局からの説明に対し、奥井会頭(敦賀商会議所)、米澤市長、中村副知事それぞれの視点から意見があり、興味深く拝聴したところ。
とりわけ、米澤市長の言葉から印象に残ったのは、冒頭の「開業効果から新幹線効果」の視点と「終着駅の間にどう頑張るか」。
後者は、敦賀以西の小浜・京都ルートに28年を要すると言われているものの、2000年から既に25年、半世紀を経過したことを思えば、そう長い期間ではなく、時間軸をもって取組みを進めていくとの意と受け止めましたが、この点に関してはまったく同感と頷いたところです。
なお、以前にも述べましたが、敦賀の盛衰の歴史を振り返れば、明治15(1882)年に日本海側で初めて鉄道が開通してから、「港と鉄道」で独占状態となった敦賀は繁栄、その後、北陸本線の延伸で衰退。
さらに明治45(1912)年の欧亜国際列車運行や国際港となった時には栄え、交通形態の変化や大陸から太平洋側へのシフトにより衰退と、まさに「独占的地位」にあるかないかが、盛衰の起点となっていることが分かります。
米澤市長におかれては、まさにこの視点を有しているからこその先の発言と認識した次第ですが、この先に訪れる起点は「北陸新幹線の敦賀以西」や「リニア開業」。
「賢者は歴史から学び愚者は経験から学ぶ」
盛衰の「衰」の文字が現れることのなきよう、自身も時間軸を意識して取組んでまいる所存です。