2024年8月26日
「生きる」ということ
昨夜参列したお通夜。
悲しみに打ちひしがれるご家族を前にお慰めする言葉すら見つからず、ただお辞儀をするしかありませんでした。
参列された多くの方も同じ心境ではなかったかと思います。
突然の訃報に触れ、本当に残念でなりませんでしたが、ただただ若くして逝った故人のご冥福を心からお祈りいたします。
皆様もそうであるよう、私自身もこれまで、親族や身近な人の死に直面し、その際、人の生死について考える場面が多々ありました。
その際出会ったのが、詩人・谷川俊太郎さんが代表作のひとつ「生きる」(絵本)について語った言葉。
そこには、
ウォーコップというイギリスの哲学者は、生きることを「生きる挙動:living behaviour」と「死を回避する挙動:death-avoiding behaviour」の二つに分けています。僕には、現代人の行動のほとんどは死を回避する挙動ばかりに見える。「生きる挙動」というのは内部からわいてくるエネルギーみたいなもので、こっちのほうが大事だと思う。この絵本は、死を回避するほうではなくて、生きる挙動について書いている。
人間にとっては生活よりも生きることの方が大事です。生活するということは、どうしても社会との関係で、給料をもらったりとか、人とつきあったりすることが必要でしょう? 生きるというのは、人間も哺乳類の一つとして、命をもった存在として、宇宙の中で生きるということ。自分が宇宙の中の存在であると同時に、人間社会の中の存在であるという二重性がある。詩を書くときはその両方をちゃんと持っていなきゃいけない。
との「生きる」ということへの思いが込められていました。
お見送りする命を思うたび、「生きる挙動」の意味合い、「生かされている」ことの尊厳を深く考える次第です。
今日は、気持ち的にもこれ以上書くことはやめます。
故人が安らかに眠られることを心から願い、合掌。
【やることは、自分は何のために生きるのかを考え、一日一日を精一杯生きるのみ】