「大同小異」か「同床異夢」か

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石破茂首相の後継を選ぶ首相指名選挙を巡り、立憲民主党は、自党の野田代表にこだわらず、国民民主党の玉木雄一郎代表も有力候補とすることは既に明らかになっているところ、昨日、神奈川新聞の単独インタビューに応じた野田代表からは、「維新(共同代表)の藤田文武さんも対象で、私に限らず、(野党)各党の代表は等しく候補予備軍として判断すべき」と説明したそう。
 
野田代表の仰る、「滅多にない政権交代のチャンス」を掴むためなら首相は誰でもいいとしか解釈のしようがありませんが、果たしてそれで良いのでしょうか。
 
もはや「政権交代」や「自民党を倒す」ことが目的になっていて、本来あるべき、「政権を奪ってどのような国家を目指すのか」の合意形成なきまま、チャンスさえ掴めばいいとの考えには到底賛同できないもの。
 
このことは先日も申し上げましたが、国民民主党は、国家の根幹に関わる基本政策の合致なき「数合わせ」の政治には与しないとの考えであり、ちなみに、基本政策のひとつで、国民民主党と立憲民主党間の不一致課題である「原子力政策」に関して言えば、基本的考えは以下のとおりとなっています(両党のホームページより抜粋)。
 
〈国民民主党〉
原子力発電所の稼働・リプレース・新増設や核融合等で安価で安定的な電力確保とエネルギー自給率50%を実現。
 
〈立憲民主党〉
原子力発電所の新設・増設は行わず、すべての原子力発電所の速やかな停止と廃炉決定をめざします
 
こうした、180度異なる基本政策に関し玉木代表は、「一緒にやろうと言うなら、基本政策を合わせられるのか、立憲民主党内で機関決定いただきたい」と至極当然のことを申し上げていますが、これに今度は野田代表が「上から目線」だと。
 
政治の場における極めて高度な調整・交渉であることは重々認識するものの、ここまで来ると、私なんぞにはもはや理解不能の領域なのであります。
 

【10月7日の定例会見に立つ玉木代表】
 
一方で、国民民主党のスタンスに、「大同小異」であるべき、「木を見て森を見ず」ではないかとの声も寄せられているもの確か。
 
「大同小異」は荘子・天下篇に出てくる言葉で、日本では「小異を捨てて大同につく」。
 
「木を見て森を見ず」は、目の前の部分的な問題や細部にばかり目を向け、全体として何が重要なのかを把握できていない状態を言います。
 
憲法や安全保障、原子力政策を「小異」あるいは「木」であると思うか否かで、スタンスが分かれるものと認識するところです。
 
また、四字熟語を続ければ、普段は対立している者同士が、緊急時や困難な状況下で、一時的にでも協力する必要がある場合に使われる「呉越同舟」がありますが、その反対には「同床異夢」があります。
 
「同床異夢」は、12世紀ごろ、中国・南宋の儒学者が論敵に送った手紙の中に出てくる、同じ床にいながら、それぞれ別の夢を見ている。
 
転じて、事を共になしながら、意見を異にするという意味ですが、こと国家の政権運営がそれであって良いのか。
 
なお両党の成り立ちにおいては、「呉越同舟」で党運営がうまく行かず、結果、基本政策の違いから、今の国民民主党、立憲民主党に分かれていった歴史があります。
 
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
 
ドイツの宰相ビスマルクの教えに従えば、私の中の答えはひとつと考える次第です。