2021年4月5日
「まん防」が不適切なら「原発」は桁違いに不適切だ
希望と旅立ちの4月も第2週に入り、高校を卒業した長男の同級生たちはほぼ大学進学のため、市外、県外へとそれぞれ巣立っていきました。
地元に残る長男はといえば、今日から福井県消防学校に入学し、「福井県消防学校初任教育」に出席。
第56期となるこの初任教育は全寮制にて行われ、消防職員としての必要な知識、技術の習得及び公務員としての心構え等の教育訓練のほか、校外研修として、強歩訓練、山岳訓練及び県外視察研修等の実施を予定しているとのこと。
同校の校訓は、「誠実、責任、規律」。
まさに、公共の安全に尽くす者が備えなくてはならない3点と拝見しました。
本日4月5日から9月28日の118日間、敦賀美方消防組合から出席する3人はもとより、同じ志を持って県内から集う仲間とともに、精神力、体力を鍛え上げ、ひと回りもふた回りも大きく成長してくれることを期待し、陰ながら応援したいと思います。
さて、新型コロナウイルスに関しては、ここ最近の新規感染者増加などにより、福井県で3度目の「県感染拡大警報」が発出されたほか、全国大では、大阪、兵庫、宮城の1府2県に対し、緊急事態宣言に準じた対策を可能とする「まん延防止等重点措置」の適用決定がされたところ。
この「まん延防止等重点措置」については、行政や報道の関係者、専門家らが2月頃から、非公式な略称として「まん防」と使っていたことに対し、2日の衆議院厚生労働委員会の場で、「迅速な対応が必要なのに緩いイメージを連想させるのは不適切だ」と指摘されると、政府分科会の尾身会長は「適切ではない」と述べ、「(末語の)重点措置を使った方が良い」と今後は「まん防」と省略することは控えるとの考えを表明。
同席した田村厚生労働大臣も「私も使わない」と同調したとのこと。
この件を聞いて、すぐさま頭に浮かんだのは「原子力」も全く同じではないかということ。
つまりは、世界の平和利用のために使用することを目的とした「原子力発電=原子力」を語呂的に「原子爆弾=原爆(げんばく)」をイメージする「原発(げんぱつ)」と呼ぶのは、ゆらゆら泳ぐ「まんぼう」の比ではない、明らかに不適切な略語であるということです。
なぜそう考えるのかとの意味合いに関しては、昨年の8月7日に投稿した「やまたけブログ」に理由を記載しておりますので、以下ご覧ください。
→→→「原爆」を想像させる「原発」の呼称は使用するべからず(2020年8月7日の“やまたけブログ”より)
本来、ここに文字として書くことも嫌なのですが、表記せざるを得ないため書かせていただきますと、この「原発」の呼称は、日本人にとって悪の「原爆」とイメージを被せるが如く用いる左翼用語であることから、原子力発電に携わる者は、正しく「原子力発電」或いは「原子力」と呼ぶべしと教えられたことは今でも鮮明に私の中に根付いていて、以降、この呼称は私の辞典にはありませんし、間違っても口にも文字にもしたことはありません。
語句ひとつが与える印象や思想の怖さを知っているからこそ、「信念」を持ってそうしている訳ですが、引用したブログにもありますよう、3.11福島第一原子力発電所事故以降は特に、マスコミや政治家、行政庁までが当たり前のように使ったことにより、今や誤った呼称が常態化していることを大いに危惧しているところです。
原子力に関する用語で言えば、
◉「使用済核燃料」は「使用済燃料」
◉「核燃料サイクル」は「原子燃料サイクル」←これはどちらも同義ですが。
◉「老朽化」は「高経年化」
◉「廃炉」は「廃止措置」
などと使うべきですが、敢えて「核」や「老朽」、「廃炉」などのワードを入れ込むことによって、負のイメージを擦り込もうとしている勢力があり、これにまんまと載せられているのが現状であると、私は認識しています。
なお、「トイレなきマンション」、「核のゴミ」と揶揄されるのは、原子力発電所の使用済燃料の再処理によって分離された「高レベル放射性廃棄物」(廃液及びその固化体(ガラス固化体))のことであり、冷却のため30~50年程度貯蔵したのち、300メートル以深の安定な地層中に処分される計画がある訳ですので、これも印象操作を狙った造語であり、さらに「無いから作る」ことに対して、「作ることにも反対」することは全くもって理解が出来ないところです。
少し余談に入ってしまいましたが、今回の「まん防」が先の理由で「適切ではない」、「私も使わない」と国の責任者が言うのであれば、この「原発」も同じで「原子力」と呼ぶべきではないかと考える訳であります。
しつこいようですが、エネルギー分野だけを見ても、
◉「火力発電所」は「火力」
◉「水力発電所」は「水力」
◉「太陽光発電」は「太陽光」
◉「風力発電」は「風力」
◉「バイオマス発電」は「バイオマス」
であって、「火発」や「水発」、「太発」、「風発」、「バイ発」とは呼ばない。
なのに、「原子力」だけは何故「原発」なのか。
先の大戦での敗戦後、日本では「連合国軍最高司令官総司令部指令」によって、原子力に関する研究自体が全面的に禁止された時期を経て、1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効により、原子力研究は解禁されることとなりました。
この時、故中曽根康弘氏(元首相)は、「二十世紀の最大の発見の平和利用を講和条約で禁止されたら、日本は永遠に四等国に甘んじなければならない」との考えを米特使に対し表明、その後、1955年12月19日に「原子力基本法」が公布されるに至ったことは、まさに国家の発展を懸けた戦いでもあった訳であります。
そうして公布された「原子力基本法」の第1条(目的)には「この法律は、原子力の研究、開発及び利用(以下「原子力利用」という。)を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。」とあります。
世界唯一の被爆国であるが故、世界のどの国よりも「原子力の平和利用」に対する思いが強い我が国において、「原発」などと表現することは、日本の原子力の歴史、先人たちの原子力に込めた思いを踏みにじるもの。
こうした事実を踏まえ、私は誰に咎められようと、今後も信念をもって「原子力」、「原子力発電」と表現し続ける所存です。
ついては、このブログをお読みいただき、考えに賛同いただける方は是非、同じように表現いただくとともに、このことを一人でも多くの方に伝えていただければ幸いに存じます。
【敦賀発電所は「敦賀原電」。ちなみに、美浜発電所は「美浜原電」と表記されています。】